50代のセカンドキャリア|同期が上司になった銀行員が選んだ道

はじめまして。
金融業界30年・上場企業部長職
Second Career Coaching 代表の周浦(たく)です。
30代半ば。多くの同期はすでに課長に昇格していたのに、自分はまだ平社員だった。このまま終わるのか、それともなんとかなるのか——不安と焦りで、同期とすら話したくなくなっていた時期がある。
これは、そんな「もう遅いかもしれない」と思っていた一人の銀行員が、53歳になった今、コーチングという形で人生後半戦を歩み始めた実話だ。
銀行員になることが、ゴールだった
正直に言うと、銀行員になる前、仕事の意味なんて考えたこともなかった。新卒で「名の知れた会社に入ること」自体がゴールで、それで満足していた。入社してからも、仕事に魅力なんて感じなかった。「ちまちまお金を合わせる、しょうもない仕事」——自分はそんな人間じゃないという、身勝手な思い上がりすらあった。今思えば恥ずかしい話だが、それが当時の自分だった。
そんな中でも、20代後半にS先輩と一緒に仕事をした時だけは楽しかった。年も近く話しやすく、わからないことがあれば何でも聞けた。今思えば、彼は自分にとってのメンターだった。身近にそういう存在がいる、それだけで救われていた。
「やるしかない」で走り続けた日々
土日も働いた。家族で出かけても、頭の中では稟議書の構想を練っていた。妻は何も言わず、自分も何も言わなかった。お互いイライラしたことも多かった、今思えば申し訳なかったと思う。
それでも当時は「辛い」という感覚があまりなかった。しんどかったけれど、「やるしかない、今しかない」という覚悟があったからだ。「このままでは終われない」——その一心が自分を突き動かし、40歳でようやく課長になった。
48歳、同期が上司になった日

だが、順調な道のりだったわけではない。48歳の春、同期が支店長として着任するという社報を見た瞬間、胸の奥がズキッと痛んだ。「やっぱり来たか」「ついにこの日が来てしまったか」。その時初めて、自分がどれほど同期の存在を気にして生きてきたかを思い知らされた。
あの1年は、サラリーマン人生で最もつらい時間だった。認められたいわけではなかった。ただ、正気を保つために仕事に集中するしかなかった。
今なら言える。同期が上司になるくらい、大したことではない。社報を見た瞬間に「栄転おめでとう、よろしく」と言えばよかっただけの話だ。でもあの時の自分にはできなかった。同期は自分をどうこうしようなんて考えていなかった。ただ、自分の価値観で真剣に勝負していただけ。自分が勝手に卑屈になっていただけだった。
20代から支えてくれた、寅さんの言葉
実はこの頃、いや20代後半から30代前半にかけて、映画『男はつらいよ』の寅さんに何度も救われてきた。仕事に意味を見いだせず腐りかけていた時期、寅さんの生き方に「俺もこんな風に生きられたら」と現実逃避していた。
満男が柴又の駅で「なんのために人間は生きているの?」と聞いた場面で、寅さんはこう答える。
「あー生まれてきてよかった。そう思うことが何べんかあるだろう。そのために人間、生きてんじゃねえのか」
当時の自分は、まさにそんな思いで日々を過ごしていて、このセリフに「そんなもんだよな」と救われていた。
とはいえ、寅さんのように「なるようになるさ」と開き直ることは、憧れつつもできなかった。どんどん後輩に追い抜かれ、出世できない自分への忸怩たる思いがあったからだ。そこから踏ん張って、40歳で課長、そして52歳で部長——遅ればせながらの逆転劇だった。今思えば、現代を彷徨ったサラリーマンの、ほろ苦い青春だったように思う。
49歳、経営職階に上がった時に感じたこと
49歳で経営職階に上がった時、何を感じたか。肩の荷が下り、体全体が楽になった。「世間体を保てた」——正直、そう思った。「ああ、よかった」と、心が静かになったのを覚えている。
52歳、積み重なったモヤモヤの正体

仕事も家庭も大きな問題はないのに、心のどこかがずっと重い。52歳になった自分は、そんな感覚を抱えていた。その原因は、気づかないうちに積み上げてきた「他人軸の生き方」だった。
幼稚園や小学校の頃は、自分の欲望に従って、他人にとらわれることなく生きていた。それはまさに「自分軸」だった。だが成長するにつれ、親・兄弟・友達・学校の先生・マスコミ・世間——いろいろな影響を受け、他人からの評価を年を重ねるごとに意識するようになる。自分の欲望は心の奥底にしまい込み、「〜すべき」が人生を主導するようになる。これが「他人軸」の人生であり、自分の人生そのものだった。
52歳、人生はいよいよ折り返しを迎えようとしていた。サラリーマンとしての成功、いい夫、いい親——今背負っているものを、そろそろ下ろしていいタイミングではないか。そう思うようになった。
自分軸で生きるとは、自分の欲望のまま好き勝手に生きることではない。自分の人生を思い切り謳歌すること、価値観の軸を「自分のことを好きか」というところに置くことだ。他人の評価は気になる。でも、それは今まで他人軸で生きてきた自分が勝手に作り上げた、単なる解釈にすぎない。人間はみな平等に土に帰る。どんな大富豪でも権力者でも、必ず生の終わりを迎え、100年もすれば誰も自分のことなど覚えていない。だったら、他人軸ではなく自分軸で生きたほうがいい——そう思うようになった。
その鬱屈とした気持ちから脱皮し、年甲斐もなく副業を始められたのは、コーチングによる「認知の書き換え」によるところが大きい。
遠回りが「正解」になる瞬間
遠回りした分、部下の「もう辞めたい」「何のために働いてるんだろう」という気持ちが、自分ごととして痛いほどわかるようになった。定年前の焦りや、キャリアに満足できない同年代の苦しみも同じだ。
コーチング副業を始めたのは、その遠回りを「正解」に変えるためだった。53歳からでも遅くはない、人生後半でも新しい生き方を見つけられる——そのきっかけをくれたのも、コーチングだった。
生まれてきてよかったと思う回数は、日々の在り方次第で、100回でも、10,000回でも、無限に感じることができる。今の自分は、若い頃とは違う解釈で、寅さんの言葉を受け止めている。
53歳の今、伝えたいこと

出世がすべてじゃない。会社にしがみつくだけが人生じゃない。定年退職で終わりじゃない。もう一花、咲かせましょう。まだまだ、かっこよくなりましょう。
40代・50代のサラリーマンが蓄えてきた経験は、言語化しきれないほど価値がある。落ちこぼれだった自分だからこそ、わかることがある。「このままでいいのか」——そう思っているあなたへ。遅れても大丈夫。まだ、間に合う。私が、その証明です。
一緒に、人生後半戦を始めませんか。この記事はサンプルです。
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私が動き出せたのは、先に進んだ人から順番を教わったからでした。
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