50代のセカンドキャリア|同期が上司になった銀行員が選んだ道
会社員として何十年も同じ組織で働くと、「もうこの会社以外では通用しないかも」と感じる人は多いはずです、私自身そう感じていました。
でも本当にそうでしょうか?
出世競争に悩みながらも走り続けた日々、
土日を仕事に溶かした経験、
チームを引っ張り、まとめる重圧・・・等々
そうした一つひとつは、給与や肩書きのように目に見える形では残らない。しかし、それは確かに私の中に「資産」として蓄積されています。
30年で獲得した「資産」を言葉で共有するのは、ある意味ナンセンスなのかもしれません。しかしこのブログは、その無形の資産がどのように育ち、セカンドキャリアとして活かすのかを、私のターニングポイントになった出来事を通じて綴っています。
誰しも、同じような後悔・悔しさ・達成が、必ずあったはずです。
そんな経験が、20代・30代にはない無形の資産であることに意識を向け、見つめるきっかけにしていただくため、このブログを書きました。
会社員生活30年の経験、それ自体が大きな価値であることに気づいてほしい、そして人生後半戦に向けた大きな武器になることを知ってもらいたい…
ゴールを持たずに始まった、私のキャリア
私は30年前、新卒で銀行に入りました。正直に言うと、銀行員になる前、仕事の意味なんて考えたことがありませんでした。新卒の私にとっては、「名の知れた会社に入ること」、それ自体がゴールで、それで満足していました。
銀行員になった後も、しばらくは仕事に魅力を感じませんでした。入社当初は、「ちまちまお金を合わせる、しょうもない仕事」だと。
自分はそんな人間じゃない、もっと大きなことをする人間だ――そんな身勝手な思い上がりがありました。今思えば恥ずかしいこと極まりないですが、それが当時の私でした。
土日を仕事に溶かした日々――覚悟が資産に変わった瞬間

30代半ば、多くの同期はすでに課長に昇格していたのに、私はまだ平社員でした。20代、30代前半を無為に過ごした後悔に苛まれながら、焦りだけが募っていく感覚です。それでも「遅れても課長に昇格するしかない」と、出世への思いだけは手放せませんでした。
大型店舗へ配属され、課長に昇格できるチャンスが巡ってきます。土日も働きました。家族で出かけていても、頭の中では稟議書の構想を練っていました。イライラすることも多くなり、今思えば、妻には申し訳なかったと思います。
当時は、しんどかったけれど「やるしかない、今しかない」という覚悟がありました。最後のチャンスだと追い詰められていたんですね。火事場のくそ力のごとく「このままでは終われない」という気持ちが、私を突き動かしてくれました。
あの時、どんな数字を積み、どんな案件をまとめたかよりも、追い詰められた中でも歩みを止めなかった経験そのものが、何年経っても私の中に残り続けています。これこそが、自分への信頼に繋がっています。
遅ればせながら、40歳で課長になります。
同期が上司になった日、私は壊れかけていた
48歳の時、同期が支店長として着任してきました。
その同期は、新入社員研修の時の同部屋で、20代の頃はよく飲みにも行き仲が良かった。当時は私の結婚式にも出席してもらうぐらいの間柄でした。
でも私の出世が遅れていく過程で、私のほうから距離を取るようになり、同期も空気を読んで、お互い疎遠になっていました。
同期は支店長、私は一介の営業課長。
私は最初「どう声をかければいいのか?」「どう話せばいいのか?」「敬語で話すべきなのか?」みたいな、今思えば、しょうもないことを悩んでいました。
それは本当にしょうもないことでした。
なぜなら、同期は支店長として業績への責任があります、真剣勝負です。
私との関係性なんてどうでもいいことなわけです。
一方私は、その同期への劣等感を強く感じながら、とにかく目の前の仕事に集中しました。そうしなければ本当に壊れそうだったのです。
自分を保つためにも、とにかく仕事に集中していきました。
_____1年後、私に異動が出ます。経営職階への栄転でした。
49歳、肩の荷が下りた日

49歳で経営職階に上がった時、私が感じたのは達成感というより、恥かしながら「世間体を保てた」という安堵でした。肩の荷が下り、体全体が楽になりました。「ああ、よかった」と、心が静かになったのを覚えています。
「他人軸」で生きてきた私にとって、ある意味、その世界から少し解放された感覚を持ったんだと思います。
長年抱えていた重荷から解放された瞬間・・・そんな安堵感も、数字には表れないけれど、私自身にしか分からない人生の陰影として積み重なっています。
会社員30年の経験は無形の資産
会社員としての30年は、単に「給料をもらうために働いた時間」ではありません。迷い、焦り、覚悟を決め、時に安堵し、また次の一歩を選ぶ――そうした一つひとつの経験の積み重ねを、無形の資産として育てた場所です。
また出世の早さや役職の高さだけが、人生の物語のすべてではないと思います。私自身も「出世に遅れながらも、歩みを止めなかった」という経験そのものが、今誰かの背中を押す力に変わっています。
人生後半戦を意識する中で、もう一花咲かせたい、もしくは、「このままでいいのか」と感じているなら、「まだまだこれから、むしろこれから」と言いたい。すでに大きな資産が眠っているわけですから。あとは宝の持ち腐れにせず活用するのみです。
会社員生活の中で積み重ねてき経験資産を今一度見つめ直す。それは、次のキャリアや人生の新しい章を始めるための、確かな土台になっていきます。
53歳、私は無形の資産を動かし始めています
53歳になった今、私は副業でコーチングを始めています。
対人支援業であるコーチングは、人生経験がものをいいます。
30年という会社員生活で積み上げてきたものは、肩書きや退職金だけの拠り所だけではなく、人としての深みを出してくれます。迷いながらも走り続けた経験、覚悟を持って踏み出した瞬間、重荷を背負い続ける苦しみ、そして解放――これらすべてが、無形の資産となっていると改めて感じています。
そして、その無形の資産がコーチになる自分へ確かな自信を授けてくれています。


